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 2005年09月 

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心の貧しいものは… 

非常に有名な言葉ですが、まさに百人百様の解釈があるといってもよい言葉です。 

≪聖書-キリストの言葉≫

☆☆☆

心の貧しい人たちは、幸いである、

       天国は彼らのものである。


   「マタイによる福音書 第5章3節」より


☆☆☆


初めてこの言葉を聞いた人は、どんな印象を受けるでしょうか?

「心の貧しい」を「心が豊かでない」と捉えて、「心が豊かな人のほうが天国に近いんじゃないだろうか?」と考える人もいるでしょう。

牧師さんや神父さんを始めとするクリスチャンについて言えば、「心が砕かれて謙虚であること」を指すと解釈している人が多いように思います。ただ、冒頭でも言いましたが、いろいろな受け取り方があるようです。

私は、中世ドイツの神学者エックハルトの影響を受けているせいか、やはり単に「心が砕かれて謙虚であること」と受け止めることができません。どちらかというと、その本来の言葉通りに、「心が何物をも所有していないこと」と受け止めています。

何の観念にも拘束されることなく、自分自身に対する誇りさえも捨て去った、何かそんなような心の状態のことを「心の貧しい」と表現したのではないかと思います。

なお、よくホテルなんかに対訳版の聖書が置いてあったりしますが、その英文の方を紹介します。ギリシア語訳から直接翻訳したもので、日本語訳から英語に翻訳したものではありません。

Blessed are the poor in spirit,
 for theirs is the kingdom of heaven.

文語的な表現なので、少し分かりにくいかもしれませんが、「心の貧しい人」に該当する部分は「the poor in spirit」と訳されています。


この聖書の引用箇所は「山上の垂訓」として知られている一連の言葉の一部です。興味のある人はぜひご一読を。



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真理の条件 

≪アグネス・スメドレーの言葉≫
 
☆☆☆

私は信じた、真理はそれが普遍性をもつときに初めて真理であって、私に当てはまるだけでは決して真理ではないということを。


     スメドレーの自伝的小説
       「女ひとり大地を行く」より


☆☆☆


アグネス・スメドレーという人は1894年生まれのアメリカ人女性ジャーナリストであって、夫のインド独立運動に参加し禁固刑を受け、後に新聞記者として中共軍に参加し、中国を始めとしてアジア開放のために献身した人である。深く中国を愛した人であり、「中国紅軍は前進する」、「中国は抵抗する」などのルポルタージュを世界に向けて発信してきた。

スメドレー自身は白人でしたが、人種差別を始めとする様々な差別を幼少の頃から目の当たりにし、それが彼女の人格や思想の形成に大きく影響を与えているようです。

上記の言葉の前には次の言葉がある。

「私が白人に生まれて黒人に生まれて来なかったこと、自由人であってドレイでないこと、これらは単に偶然にすぎない。」

スメドレーという人は人種差別のみならず、女性が妻となった場合の当時の半奴隷的な扱いについても疑問を抱いていた。このことのほうが私にとっては興味をひくところである。

その理想の結婚観は必ずしも一定していないようですが、「夫とは性的な交渉は持たない。」「夫とは友愛的な関係を維持していきたい。」などの考え方がベースにあるようです。

さて、真理についての彼女の言葉ですが、
いかにも的を射た言葉だと思います。

要するに「真理」に対して一つの定義を与えたわけです。
よく「これこれはこうすれば良くなる」「このように考えれば解決する」などというフレーズを本や雑誌で見かけますが、そのようなフレーズを吐いた人は、すべての人に当てはまるとちゃんと確信してそのような言葉を用いたのでしょうか?

私にはそうは思われません。
したがってそれらのフレーズは本来「真理」のみが持ちうる輝きを伴っていません。

一部の人を切り捨てた物言いです。

そのような言葉を吐くことは容易なことです。
自戒の念を込めて言いますが、断定的な物言いをしようとするときは、彼女の言葉をぜひ思い出していただきたく思います。

無責任な言葉が氾濫していると感じずにはいられません。



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ベートーベンの言葉  ビジネスをする人に向けて 

≪ベートーベンの言葉≫
 

☆☆☆

つねに行為の動機のみを重んじて、帰着する結果を思うな。
報酬への期待を行為のバネとする人々の一人となるな。


          ベートーベンの手記より

☆☆☆


いわずと知れた大作曲家ベートーベンの言葉です。司法書士試験という国家試験を今年の7月に受験し(ちなみに発表は9月28日だったりする。)、その後、来年の受験を前提に生活のスタイルを模索している私には実に重い言葉でした。

どこかで聞いたような言葉ではあるのですが、あのベートーベンの言葉として聞くと、なぜだか心にずしりと響きます。

近年は、起業熱といいますか、自分で何か商売を始めようという人たちが増えてきていますね。
年金問題や所得格差の増大などを原因とする経済面の不安を解消したいという願い、来年施行の新会社法などによる起業環境の改善、などその動機としてはいろいろ考えられますが、日本の将来を考えると肯定的に受け止めるべきものでしょう。

そんな状況にあっては、やはり結果を求め、結果から逆算して行動を始め、そして結果に左右される、ということが少なくないでしょうし、また、往々にしてそれが「普通」だと捉えられる傾向にあると思います。

もし上のベートーベンの言葉に近い言葉を吐く人がいたとしてもどうでしょう。「動機を重んじよ。そうすれば結果はついてくる。」というような感じになってしまうのでは?

それでは結局、結果を気にしていることに他なりません。

べートーべンは、「動機を重んじよ。結果がどうなるかは、動機が何であるかに比べれば、とるに足らないことである。」と言っているように私は思います。

ビジネスをするにあたっては、このような言葉を心に留めておくことが適切なバランス感覚の保持に資するのではないかと思います。



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ジッドの言葉  「偽りが愛されるよりも…」 

≪ジッドの言葉≫
 

☆☆☆

あなたの真実が嫌われるのは、
 あなたの偽りが愛されるよりもいい。


             アンドレ・ジット

☆☆☆


ジッドという人は1869年生まれのフランスの小説家で「狭き門」「背徳者」などの作品で広く世界に知られています。「狭き門」ではノーベル賞も受賞しています。

私としてはややストイックなイメージを抱いています。

さて上に掲げた言葉。
人から低評価を受けたり、非難されたり、排除されたりしたときに前進する力と勇気を与えてくれます。
もっと具体的に言えば、たとえば、
職場で浮いてしまいものすごく居づらい状況になったとき、
近所づきあいで何か失敗をして完全に孤立してしまったとき、
自分のダメな性格を悲しみ、世間が恐ろしく感じるとき、
あるいは、
失恋したとき、でしょうか。

そんなときこの言葉を思い出しますと、
ずいぶん気分が軽くなります。

一般的に「○○よりはましか!」などと思うと楽になったりするものですが、結局気休めに終わる場合も多いと思います。

それはおそらくその「○○と比べればまし」という考えをどれだけ深く納得し、感得し、体得できるかということにかかっているでしょう。

本人の資質と、そして言葉の力。

この二つを合わせたものが弱いと、
気休めで終わってしまうと、そう思います…。



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太宰治の言葉より  「それあ怠惰だ…」 

≪太宰治の言葉≫ 

☆☆☆

何もしないさきから、僕は駄目だときめてしまうのは、それあ怠惰だ。

        
  太宰治        
   短編集「ろまん燈籠」所収
   「みみずく通信」より  


☆☆☆


この部分だけ読んで「はっ」と感じる方、いないでしょうか?

「わたしなんて」「おれなんてどうせ」というようないじけた気持ちと「怠惰」という言葉は私の中では何の縁もありませんでした。

それがこの太宰治の言葉を聞いて、
あっというまにそれらの間に縁ができて、そして養子縁組を果たしてしまったわけです。

「わたしなんて」などという言葉は結局、努力をしない言い訳にしかすぎないし、自己憐憫とでもいうようなあまりよろしくない心情から発せられる言葉ではないかと素直に思います。
自分に当てはまるところがあるからでしょうね。

この言葉の前の部分も含めて掲載しておきます。
よかったら読んでみてください。


☆☆☆

(高等学校の生徒からの問いかけに答えて)


「太宰さんを、もっと変った人かと思っていました。案外、常識家ですね。」「生活は、常識的にしようと心掛けているんだ。青白い憂鬱ゆううつなんてのは、かえって通俗つうぞくなものだからね。」「自分ひとり作家づらをして生きている事は、悪い事だと思いませんか。作家になりたくっても、がまんして他の仕事に埋うもれて行く人もあると思いますが。」「それは逆だ。他に何をしても駄目だめだったから、作家になったとも言える。」「じゃ僕なんか有望なわけです。何をしても駄目です。」「君は、今まで何も失敗してやしないじゃないか。駄目だかどうだか、自分で実際やってみて転倒して傷ついて、それからでなければ言えない言葉だ。何もしないさきから、僕は駄目だときめてしまうのは、それあ怠惰だ。」



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