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 2006年01月 

「What a Wonderful World」等の歌詞とライブドア問題 

この二つには共通点があると思います。

「What a Wonderful World」というのはルイ・アームストロング(通称サッチモ)によって歌われた曲で、1967年に「グッド・モーニング・ヴェトナム」という映画の挿入曲として使われ広く知られるようになったものです。邦題は「素晴らしき世界」だったかと思います。

何がライブドア問題と共通するかというと、歌詞の引用に関するグレーゾーンに対する一般市民(一部ですが)の態度と、証券取引法その他の規定に関するグレーゾーンに対するライブドアなど買収で儲けている企業(村上ファンドも?)の態度です。

著作権法32条では、正当な権利として「引用」が認められています。この場合「引用」というのはあくまで一部分ということであり、全部の引用となるとこれは「転載」ということになり、32条の対象外となります。こういう「引用」であれば、許可も要らず、使用料も払わなくてよいのです。

ただ、文学作品などと違って歌詞を引用する場合は、これが実にはっきりしない。

第一に、

(社)コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)という団体の運営する「著作権・プライバシー相談室」というホームページのQ&Aのコーナーにおいて、
「HPで音楽批評がしたい」という質問に対しては、引用の要件をきちんと守っていれば問題ないという回答(クリックすれば表示されます)をしています。要件というのは次のようなものです。


 ☆☆

(1)他人の著作物を引用する必然性
   があること。

(2)かぎ括弧をつけるなど、
   自分の著作物と引用部分とが
   区別されていること。

(3)自分の著作物と引用する著作物
   との主従関係が明確であること。

(4)出所の明示がなされていること。

         文化庁ホームページより

 ☆☆


第二に、

日本音楽著作権協会(JASRAC)のホームページの中のQ&Aでは、引用についてははっきり言ってお茶を濁しています。「4小節程度の短いフレーズであればJASRACへ手続きをしなくても、雑誌に掲載したり、ビデオに録音できると聞いたのですが?」という質問に対する回答、そして「歌詞は部分的な掲載であれば引用にあたるのでしょうか」という質問に対する回答、などを読んでも結局、「ケースバイケースで判断せざるを得ない」というような書き方である。


第三に、

(社)日本音楽著作権協会と(社)日本文芸家協会で、歌詞の引用を「1節以内」とする取り決めがあるらしいのですが、これには何ら法的な拘束力はありません。あくまでその団体に関わる当事者間での取り決めに過ぎません。


第四に、

歌詞の引用については、確定した最高裁判決といったものが現時点では存在せず、かといって著作権法上も特に歌詞の引用に絞って規定している箇所もない。


たしかに基準を作るのは難しいと思う。
ある歌詞の引用が上に掲げた要件を満たすか満たさないかは個々に判断するしかないかもしれない。

では、誰が判断するのか?

原作者か?
原作者がNOと言ったらNOなのか?

それでは著作権法32条の規定の意味がなくなる。
正当な「引用する権利」はないも同然である。


では日本音楽著作権協会?

いや、彼らにそんな権限はない。


結局、著作権法を修正するか、あるいは所轄官庁が明確なガイドラインを発表するかしない限りは、裁判所が判断するということになると思う。


現状はこんな感じだと思う。


そんなグレーな事情もあって、例えばアイドルのファンサイトでは結構、歌詞が無断で掲載されていたりする。


冒頭に掲げたサッチモの曲もまだ死後50年経っていないのに、英語の歌詞がホームページに平然と掲載されていたりする。
引用どころか「What a Wonderful World」の全文がかなり多くのサイトで掲載されている。明らかに無断で掲載している。

ちなみに、検索サイトにおいてどんな風に歌詞が検索されているかというと、検索数の多いところでは、

「レミオロメン 粉雪 歌詞」
「青春 アミーゴ 歌詞」
「大塚 愛 プラネタリウム 歌詞」
「アニメ ソング 歌詞」
「j-pop 歌詞」
「kat-tun 歌詞」
「mr.children 歌詞」

といった具合である。

試しに「レミオロメン 粉雪 歌詞」で検索してみたのだけれど、その際「歌詞GET Web版」というサイトを見つけてしまった。

なんと、歌詞がまるまる掲載してある。
ちゃんとした会社が運営してる感じなのにどういうことかと思ったら、JASRAC(日本音楽著作権協会)および ㈱ジャパン・ライツ・クリアランスの許諾を受けているということだった。

しかも、印刷禁止処理(ストリーム配信)を施しているとのこと。

いいサイトを見つけたものだ。
もちろん自分のサイトに掲載することはできないけれど、書き写すなりして、個人的にその歌詞を使用する分には問題なさそうである。

歌を覚えるにはもってこいのサイトである。


このような、きちんと許諾を得ているWEBサイトは歌詞を丸々掲載したって全然いいのです。

まずいのは、許諾を得ずに歌詞を掲載しているサイトです。


法律を知らなくて歌詞を掲載してる人も多いと思うけど、「違反かもしれない、でもそれならそれでも構わないや」と思って掲載してる人もかなりいるはずです。

この「違反かもしれない、でもそれならそれでも構わないや」というのはいわゆる「未必の故意」というものです。

この場合は「故意」があるとみなされてしまいます。


まさにこの部分がライブドア問題に共通するというわけです。

(ここまで長かった…。)



ライブドアの堀江社長、いや堀江元社長や役員たちには、この「違法とみなされるかもしれない」という意識がおそらくはあったはずです。

そして、他にもやってるところはあるし平気だろうというような、やや安易な発想で突き進んでしまったものと思われます。


株取引や歌詞引用の問題に限らず、
みんなやってるんだからと安心して危ない行為に手を染めると、場合によってはライブドアのように、自分ひとりだけスケープゴートとして狙い撃ちにされる可能性があります。


何が言いたいかというと、

大勢の人がやっているという事実は、自分の身の安全にとって何の保証にもならないということです。

あくまで法律や良心と相談して行動するべきだということです。


この意味で、
ライブドア問題は反面教師になるかと思います。


大変長い文章となってしまいました。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。




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カテゴリがない… 

何で…、

何で、「人生」とか「思想」とか「哲学」とか「社会一般」とか「宗教」とか「生き方」とか、そういうカテゴリーがFC2にはないんだろう。

そういうスレッドは多分あるんだろうけど、
なんでそういうカテゴリは一つもないんだろう。

一つぐらいあってよさそうなもんだけど。

「心と身体」だとちょっと違うし、
「日記」でもないし、
「ライフスタイル」もずれるし…、


そう思う人、誰もいないんだろうか…。





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星野夏「あおぞら」が流行ってるようですが… 

以前、電車の中の広告で見かけて少し気にはなっていたんですが、

昨日だったかなぁ、
新聞の記事で紹介されているのを発見しました。

若い人を中心に話題になっているようですね。

ある少女がその体験を綴ったものらしいのですが、 裏切り、レイプ事件、恋人の死などのつらい出来事がありながらも強く生きていく姿が多くの人に感動を与えているようです。

読後の感想なんかをちょっと調べてみると、
内容を重さに圧倒されてしまったというような感想もあれば、悲しくてとにかく涙がでてきてしまったというような感想もありました。

アマゾンのサイトのレビューなどを見るとやや批判的なものもあるようです。



「初めて本を読んで泣いた」とかいう読者の声なんかを読むと、私なんかは、とりあえず買って読んでみようかなとすぐに思ってしまうんですが、

この手の本はこれまでもいっぱい読んできた気もするので、ちょっと迷ってしまう。


少年時代に読んだ本ですと「ルーツ」が結構衝撃的だったですね。
まだ少年なのに(私が)、一気に読んでしまった記憶があります。

ガンビア生まれのクンタ・キンテという黒人の少年がアメリカ南部に突然連れて行かれて競売されてしまい、その後、暴力をはじめとする理不尽な仕打ち受け続けるという話です。そうした半生をクンタ・キンテ自信が回想的に綴っていくという形式だったと思います。
その体験が実話なのかどうかはよく知りません。

たしか映画化もされたかと思います。

自分の半生を綴るという点では似てますよね。


やはり少年時代ですが、
「フランダースの犬」も主人公に同情するあまりボロボロ泣きながら読んだ思い出があります。
「ユンボキ日記」なんかも泣けました。



んー、

「あおぞら」も読んでみないとなんとも言えないけど、なんとなく想像はついてしまう。


若い人にはそういう本を何冊も読むことがきっと必要なんだろうと思うけど、私としてはもう十分という感じ。


自分の身の回りの「涙」でさえ取り除けていないのにこれ以上知りたくないし知る必要もない、とさえ思ってしまう。

しかし、現に存在する悲しみや苦しみを知ることは人間の義務かもしれないという考えもふと頭をよぎる。


自分は関係ないからとか、しょせん私には何もできないから、などと言って全く関心を向けようとしないというのは、人として罪なことではないだろうか。

関係がなくても、なにもできなくても、せめて「知って共感する」ということが人には求められているのではないだろうか。


結局「あおぞら」は読まねばなるまいか…。

「さおだけや屋はなぜ潰れないのか?」みたいに、話題になってるからといって読んでみれば「がっかり、それがオチか?」みたいなこともあるかもしれないけれど、

とりあえずは読んでみましょうか。


下に画像からも購入はできます。よかったらレビューだけでも読んでみてはいかがでしょうか。


ご清聴ありがとうございました。


トラックバックさせていただいたサイト
「映画と投資と小説と」 様(livedoor.jp/whiteheadphone/tb.cgi/50370687)





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「逮捕=有罪」ではないよ? 

地検が強制捜索をして、さらに4人を逮捕したに過ぎない。
少し騒ぎすぎではないだろうか?

堀江さんはおそらく徹底抗戦するだろうし、裁判も長くかかる可能性もある。

一連の報道を見ていると、彼は確信犯というよりはむしろ本当にぎりぎり合法だと思っていた節がある。

つまり彼からすると見解の相違の問題なわけで、粉飾決算はともかく、株式分割や買収に関わる一連の手法自体については、彼にも言い分があると思われる。

その手法について、一概に違法とはいえないとする専門家もいないわけでもない。

あとは裁判官に任せるべきだと思う。

黒に近いイメージをもたれるのは仕方がないにしても、それを確定した事実のように議論したり報道したりするのは、いかにもまだ早い。


双方が事実面・法律面での主張をたたかわせ、証拠調べをを行ったうえで、初めて事実認定が正式になされるという事を思い起こしてほしいと思う。

とにかく、
検察や警察の判断はあくまで絶対ではない。




遅かれ早かれ裁判員制度が開始されるけれど、私が一番恐れているのは冤罪です。

偏見や個人的な感情に振り回されずに、一般の方がいかに妥当な判断を下せるかというところが、この制度の実効性を確保するためには非常に大事になってくると思われるのですが、

ライブドアの社長日記に書かれたコメントなどを見ているとなんだか不安になってきます。


多少話はずれますが、

ネットの掲示板とかコメント欄と言うのは、一種の公共の場と考えることができます。

その場を荒らし放題に荒らす行為に対しては、何らかの法的な処罰があってしかるべきではないかと思いませんか?

もちろん相当程度の自由度は保証されるべきでしょうが、あんまりにもひどいものについてはその保証の枠から除外していいような気がします。


私の勝手な予測ですが、
数年内ということはないにしても、

もう一段、ネット社会が成熟してくれば、そのような法令もできてくるのではないでしょうか。


話は戻りますが、

ライブドアが倒産あるいは解体される可能性は決して小さくはないと思うものの、とりあえず役員と会社は別個の存在です。

社長や取締役が信用できなくなったのなら、株主が彼らを解任すればいいんです。

上場会社なんですから、もはや「堀江=ライブドア」ではないんです。


そういったことも含めて、事態を冷静に見つめることが大切だと思います。

ライブドアの株が極端に下がっているのは、その株主の大方を占めている個人投資家(特に初心者)に、そういう冷静な目を持った方が少なかったことも一因としてあるかと思います。



それにしても、ホリエモンの合コンの様子までテレビで流すっていうのは、どうなんでしょうか?

ホリエモンよりもよっぽど悪質で腹が立ちます。

小泉首相の、のらりくらりと質問を煙に巻くあのやり方もよっぽど腹が立ちます。



テレビ局の皆様、

ホリエモンのことは、ちょっと様子を見ることにして、まずは耐震偽装のことしっかり報道してください。

よろしくお願いします。


livedoor社長日記へのリンク
http://blog.livedoor.jp/takapon_ceo/



トラックバックさせていただいた方
http://shoichi.livedoor.biz/



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上野千鶴子教授問題に関して。 マザーテレサの手紙 

1月13日付のYAHOO!ニュースに次のようなものがあった。

「 『ジェンダー・フリーに対する見解が合わない』と、東京都教育庁が上野千鶴子・東大大学院教授(社会学)の講師依頼を拒否したため、国分寺市の人権学習講座が中止された問題で、上野教授は13日、石原慎太郎都知事や都、同市教委に対し、講座中止の理由を問う公開質問状を出した。」

上野千鶴子といえば、一般的にはフェミニストとして知られていると思います。

また、「女という快楽」「スカートの下の劇場-ひとはどうしてパンティにこだわるのか」「差異の政治学」などなど様々な著書があります。

ジェンダー・フリーというのは要するに、人は「男だから」「女だから」という社会的なプレッシャーから開放されるべきである、という主張のことです。

性差に応じた合理的な役割分担まで否定しようとするものではないと思います。

しかし、社会的・文化的な意味においての役割分担の強制を解消しようとするあまり、いかなる区別的な処遇をも認めないという方向へ傾きがちなのかもしれません。

まともに考えると結構むずかしい問題のような気がします。


例えば平成11年4月の労働基準法改正により、女性の深夜労働・時間外労働・休日労働についての制約が緩和され、原則的には男と女で変わらなくなりましたが、

そもそもそうした「差別」があったのは、おそらくは男性と女性の違いに考慮した上でのことだったのであり、偏見とかそういうことではなかったように思います。
ぶっちゃけて言えば、男性が襲われるよりは女性が襲われる確率のほうが明らかに高いという事実に配慮したわけです。(他にも理由はあると思いますが…。)

ただ時代が変化して、そこまで規制することが不合理になってきて、改正したのだと思います。

この改正は一応納得のいくものであります。

男女間で明白な差異があるとまでは言えなくなってきたわけです。


これに対し、男性は子どもを産むことはできない性であるけれど女性は子どもを産む性である、というような絶対的な差異については、当然配慮がなされるべきです。



要は、主観的にしか捉えられないような区別を一方的に押しつけず、客観的に明白であると認められる区別に重きを置くべきだということです。

単なる偏見によるような区別は、除かれてしかるべきでしょう。




さて最後に、

マザーテレサが第4回国連世界女性会議(北京会議)に向けて送ったメッセージを引用したいと思います。

これはジェンダーフリー論者にとってあまりに耳が痛いものであったため、結局は彼らによって葬り去られてしまったと噂されるものです。

少々長いかもしれませんが、興味のある方は是非読んでみてください。



☆☆☆

親愛なる皆様へ

 第4回世界女性会議で北京にお集まりの全ての方々に神の祝福のあらんことをお祈り申し上げます。私は、この会議によって、あらゆる人々が、神の計画において女性だけに与えられた役割を知り、それを大切なものと受けとめ、さらに尊厳を与えること、それによって、ひいては女性達が一生のうちにこの神の計画を実現できることを希望します。

 私には、なぜ男性と女性は全く同じだと主張し、男女の素晴らしい違いを否定しようとする人々があるのか理解できません。神より授けられたものは全て善きものでありながら、全てが同じものであるとは限りません。私はよく、私のように貧しき人々のために尽くしたいとおっしゃる方に対して、「私にできてあなたにはできないこともあり、あなたにできて私にはできないこともあります。しかし、ともに力を合わせれば、神にとって何か素晴らしいことができるのです。」と申し上げます。男性と女性の違いとは、これと同じようなものなのです。

 神は、私達ひとりひとりをお造りになりました。そして、更にありがたいことに、全ての人々を、愛し、愛される存在にして下さっているのです。では、神はなぜあるものを男性に、またあるものを女性にお造りなったのでしょうか。それは、神の愛のひとつの形が女性の愛で表わされ、別の形が男性の愛で表わされるからです。どちらも愛するために造られていながら、それぞれの愛し方が違うように、男性と女性は互いを補い合って完成されるものであり、神の愛を体現するには、どちらか一方よりも両方そろった方が、より神の愛に近づくことができるのです。

 女性特有の愛の力は、母親になったときに最も顕著に現れます。母性は神から女性への贈り物。私達は、男女を問わず世界中にこれほどの喜びをもたらしている素晴らしいこの神の贈り物に、どれだけ感謝しなければならないことでしょうか。しかし、私達が、愛することや他者のために尽くすことよりも仕事や社会的地位の方を大切だと考えたり、妊娠中絶をしたりすれば、この母性という神の贈り物を破壊することにもなりかねません。仕事も、夢も、財産も、自由も、愛に代えることはできません。母性を破壊するものは全て、神から女性へのの最も大切な贈り物―女性として誰かを愛する力―を破壊するものなのです。

 神は私達に「汝を愛するがごとく隣人を愛せよ」とおっしゃいました。だから、私はまず正しく自分を愛し、それからそれと同じように隣人を愛します。しかし、神が自分をお造りになったことを受け入れないとすれば、どうして自分を愛することなどできるでしょうか。男女の素晴らしい違いを否定する人々は、自分たちが神によって造られた存在であることを認めようとしませんし、それゆえに隣人を愛することもできません。彼らがもたらすものは、対立と不幸と世界平和の破壊でしかありません。例えば、私がこれまで再三申し上げてきたように、妊娠中絶は現在の世界平和にとって最大の破壊者であり、男女の違いをなくそうとしているのは皆、妊娠中絶に賛成する人々なのです。

 死と悲しみの代わりに、世界に平和と喜びをもたらしましょう。そのためには、神に平和という贈り物を願い、互いに神の子の兄弟として愛し合い、受容し合わなければなりません。子供達が愛することと祈ることを学ぶのに最もふさわしい場は家庭です。家庭で母父の姿から学ぶのです。家庭が崩壊したり、家庭内に不和が生じたりしていれば、多くの子供は愛と祈りを知らずに育ちます。家庭崩壊が進んだ国はいずれ多くの問題を抱えることになるでしょう。私は、とりわけ裕福な国々で、愛情不足と疎外感から逃れるために薬物に向かう子供達を幾度となく目にして参りました。

 しかし、家族の絆が強く、家庭が円満であれば、子供達は父母の愛の中にかけがえのない神の愛を見ることができ、自分の国を愛と祈りに満ちた場にしていくことができるのです。子供は神から家族への最高の贈り物ですが、子供にとっては父と母の両方が必要です。なぜなら、父親は父親らしいやり方、母親は母親らしいやり方で神の愛を体現して見せるからなのです。ともに祈る家族が離れていくことはありません。そして、家族がひとつであり続ければ、神がそのひとりひとりを愛してこられたように、互いを愛し合っていけるでしょう。愛のあるところには常に安らぎが生まれます。

 心に愛の喜びを抱き続けましょう、そして、出会った全ての人々とその喜びを分かち合いましょう。北京会議の全ての出席者と、この会議によって救われようとしている全ての女性が、ともに愛と安らぎの中で暮し、それぞれの家族とこの世界を神にとって美しいものにするために、おひとりおひとりがマリアのように慎ましく、清らかであることをお祈り申し上げます。
 
 ともに祈りましょう。

 全てを神の栄光と御心に捧げて。

 神の祝福あらんことを。


       マザー・テレサ


☆☆☆




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