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 2009年05月 

児童ポルノの単純所持規制について。 

児童ポルノについてでありますが、一般的には、二次元と三次元を分けて論じられているようですが、私は分けるべきではないと考えます。

何故分けるかというと、二次元、すなわちアニメや漫画の世界では直接的な被害者が存在しないからです。三次元の場合は、大人に性的に搾取される被害者が存在するわけですが、二次元の場合は存在しない。この差は大きいのだけれども、見る者に対する影響力という観点に立てば、本質的な差異はさほどないように思われます。

以後、二次元か三次元かを問わず、児童を対象としたポルノ作品の是非について論じたい。

さて、普通の人がみな児童に対する性犯罪に及ばない理由は何かと言えば、まず思いつくのは、対象である児童への思いやりと犯罪者となることへの恐怖。

まあ、そもそも児童に性的関心を抱くことが異常だという意見もあろうが、この意見はこの際無視しておく。
というのは、ほんのかすかであれ、人にはそうした欲情が潜在的にあると思われるからだ。女性の気持ちはよく分からないが、男性の立場に立っていうならば、無自覚であるにせよ、そうした感情は確かに存在する。だから、内心において児童(幼少期をイメージしています)に性的好奇心を持つこと自体を非難するつもりは毛頭ない。

問題は、そうした欲情類似の感情を、何が「対象である児童への思いやりと犯罪者となることへの恐怖」を凌駕するまでに育て上げてしまうのかということだ。

その有力な候補として、私は、二次元、三次元を問わない児童ポルノ作品の存在を挙げたい。

単純所持規制反対派の意見を一言で言うならば、
隠されれば隠されるほど人の好奇心や欲望は逆にエスカレートしていく、だから実害が及ばない程度にその好奇心や欲望を満たすべきだ、ということになる。

しかし、人の欲望を甘く見てはいけない。
欲望というものは、障害がない限り、常に際限なくエスカレートしていこうとする。
ある一定の水準で満足してしまうと断言できるほど、人の欲望は大人しくないのだ。

大方の人は、世間体や理性や思いやりの力によって、内なる欲望を抑止することができているのだが、当然、中には抑えきれない者が出てくる。だから被害者がいつまでもなくならない。

人の欲望は、真の意味での「満足」とは無縁である。
実害を発生させない程度に満足させておけばよい、などという理屈は、何の根拠もない。
満足することがあっても、それは一時的である。
欲望といわれる類のものは、断じて終局的な満足とは無縁である。
児童への性犯罪0を目指すなら、こんな妥協をするべきではない。
食欲と同じように、死ぬまで繰り返し、その満足を求めようとする厄介な代物なのである。

では、どうしたらよいか?

単純所持規制反対派の人がよく言うように、リアルな被害を防ぐために代替的な二次元作品を提供すればいいというのか?

それは、なんという後ろ向きな策だろう!

まるで、窃盗被害を防ぐために、定額給付金のような愚策を何度も施行させるようなものだ。
焦点とすべき課題は、窃盗予備軍というべき者たちの考えを改めさせることではないかな?


性的な満足が一過性のものであることは、言うまでもないことである。
通常人であれ、性犯罪予備軍であれ、この事実は変わらない。

児童への性犯罪を本気でなくそうと思うのであれば、根っこを絶たなければ駄目である。


「習慣は第二の天性なり」とは、古代ギリシャのディオゲネスの言葉でありますが、手軽に児童ポルノ作品を入手できるという習慣が身に染み付いてしまうことで、児童への性的虐待に対する拒絶感が相当に薄れてしまうことが考えられます。

これが、私の最も危惧するところなのです。


身近にそうした児童ポルノを触れさせないことによって、習慣化・無自覚化を未然に防ぎ、別世界の出来事のように感じさせることができるなら、児童への性犯罪も多少は減ることでしょう。

結論としては、
いかなる意味における児童ポルノ作品についても、この社会から抹殺させることが有意義であり、そのことで、性犯罪抑止に大いに寄与することとなる、と言いたい。

この世におおっぴらに存在しないことをもって、初めて、自らが関わるべきでない事象であると悟ることができる人達が大勢いるのである。

満足させて止めるのではなく、相手にしないことでその異常さを自覚させ、児童犯罪の抑止を目指すのが効果的だと思います。


ちなみに、ですが、
私は昭和40年代に生まれたので、昭和50年代後半から昭和60年代にかけてのエロ事情を少しは理解しております。
当時は、インターネットもありませんで、専ら書籍やビデオによる性刺激が主流を占めておりました。
中学生あたりが女性器を見るのは、実体験をした者を除けば、至難の業であったわけです。

せいぜい、クラスメートのお兄さんが外国から持ち帰った洋物エロ本を回し読みするのが精一杯だったわけです。

炉利系エロ本については、かなりおおらかだった時代ですが、普通の女性器情報を得るには相当の困難が伴った時代です。

翻って今の時代を考えると、インターネットがある限り、まさに見放題の状況です。
下手すると携帯電話でも見れてしまう。

さて、およそ20年以上前の時代と今の時代を比べて、性犯罪は減ったのでしょうか??

強姦等の重大犯罪に関しては減ったと言えるデータもあるようですが、それが見放題時代の到来による影響なのかどうかといえば、その根拠とするには、さほど説得性はない。

こんな見放題の時代でも、悪質な性犯罪が後を絶たないのが現状。


長くなりましたのでもう寝ますが、
単純所持規制は大いに試してみる価値のある制度改正です。

反対派も、つべこべ言わず、一回やらせてみればいいじゃない。
そのほうが単純所持規制による結果がはっきりする。

試すことさえ許したくないのだとすれば、
それはどんな理由によるのかな?

「試してみて駄目だったら元に戻す」という行為を現政権がやってくれない、という不信感が根底にあるのかもしれない。

でも、その辺は意外と柔軟に対応できてると思いますよ。
日本人は基本的に真面目ですからね。


さあ、寝ます。
オヤスミナサイ…。

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スーザン・ボイルの歌に不覚にも…。 

ポール・ポッツ(paul Potts)という豊かな才能の持ち主を発掘したことで、日本でも一部で有名になった英国の番組「Britains Got Talent 2009」。

この番組で、女性版ボール・ポッツとでも言うべき人材が再度発掘された。
何で知ったか知らぬが、ネットなど全くやらぬわが母までもが知っていた。
ワイドショーか何かでやっていたのでしょうね。

その者の名は、スーザンボイル(Susan Boyle)。
スコットランド・ウェストロージニア州に住む47歳の女性だ。
やや、というかかなり太めで比較的高齢だったことから、自己紹介の場面では失笑を買っていたわけなんですが、彼女がレ・ミゼラブルの「夢やぶれて(I Dreamed a Dream)」を歌い始めると、観客や審査員の反応が一変する。

ポール・ポッツも素晴らしいと思ったが、この人の歌は何か特別だ。
30回以上はyoutubeの動画を見ましたが、30回目に聞いても不思議と涙がにじんでくる。
「夢やぶれて」の歌詞が彼女にマッチしていたというのもあると思うけど、決してそれだけではない。
感動させる何かが彼女の歌にはあるのだ。

魂が震撼した、とでも言えばいいのか。

魂が震撼するといえば、尾崎豊が夜のヒットスタジオに出演した際の熱唱(太陽の破片 尾崎豊)が思い出されますが、尾崎とは何かまた質が違うのかな。とにかく何度聞いても涙があふれてくる(3回に一回ぐらい)。

キスもしたことがないという彼女の処女性が歌の素晴らしさに影響しているという考えは、さほど正しくはないと思う。

あえていうならば、彼女の真っ直ぐさでしょう。

その辺は尾崎豊とも共通するのでしょうが、彼女の場合は、真っ直ぐさと無欲さに加え、歌に対する純粋で無心な愛着まで感じてしまう。

彼女は歌唱力も一級品なのですが、それだけの歌手なら掃いて捨てるほどいる。
スターダストレビュー・と小田和正とのコラボによる「木蓮の涙」なんかも素晴らしいのですが、所詮は今現に豊富にある何かを出しているに過ぎない。

歌手はビジネスとしての一形態であるから、魂を削りとって歌うなんてまねは通常はありえない。
だから職業歌手の歌には、一部の例外を除いて、本当の意味で感動できない。
そう思うのは私だけではないはず。


スーザン・ボイルが商業主義に飲み込まれて、その純粋さを失わないことを切に希望します。
聞いたことのない人は、とにかく一度彼女の歌を聴いてほしい。

さて、もう寝ます。
三時が迫ってる。

早寝早起きができる日が早く来るように…。


なお、スーザン・ボイルのyoutube動画は以下のとおりです。

歌は心【完全版】/スーザン・ボイル (日本語字幕つき)

Susan Boyle - Britains Got Talent 2009 Episode 1 - Saturday 11th April


同じ番組のこの男の子も凄かったなあ。是非ご視聴くださいますように。
       ↓
Shaheen Jafargholi - 12 Year Old Singer - Britains Got Talent 2009 Ep 2

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うーん… 

毎日のように書き込んでいたこのブログも、ここのところお休み状態だった。

当初は、忙しいからという理由で書き込まなかったはずなのに、
さして忙しくなくても書こうという気持ちがあまり起きなかった。

これが習慣というものなのかな?

いやいや、習慣だけのせいでもないだろう。

毎日のようにチェックしていたアクセス解析も、最近はほとんど見なくなってしまった。
アクセスが上がっているかもという期待感があったからこそ見ていたんだろうけど、
ほっておいて、アクセスが上がるわけがない。
アクセス解析を見てもがっかりするだけだから、自然と見なくなってしまったんだろう。

どの人もそうだと思うけど、誰も見てくれないと分かってブログを更新する人はおそらく稀。
誰も聞いてないのにブツブツ語るんだから、精神障害の一症状である独語(露骨な独り言)と何にも変わりはしない。

更新しなければしないほど、更新する気が失せていくのがブログ。


でも、また色々書いていこうかな。
何のかんの言っても、こんな支離滅裂なブログを見にきてくれる人もいるようですので。

でも、何を書こう?


書くとしたら、今までよりは明確な目的や信念をもって書きたいと思う。

しかし、私がブログを更新する目的は何であるべきなのだろう??

いまひとつ思い浮かぶものがないなあ…。

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