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上野千鶴子教授問題に関して。 マザーテレサの手紙 

1月13日付のYAHOO!ニュースに次のようなものがあった。

「 『ジェンダー・フリーに対する見解が合わない』と、東京都教育庁が上野千鶴子・東大大学院教授(社会学)の講師依頼を拒否したため、国分寺市の人権学習講座が中止された問題で、上野教授は13日、石原慎太郎都知事や都、同市教委に対し、講座中止の理由を問う公開質問状を出した。」

上野千鶴子といえば、一般的にはフェミニストとして知られていると思います。

また、「女という快楽」「スカートの下の劇場-ひとはどうしてパンティにこだわるのか」「差異の政治学」などなど様々な著書があります。

ジェンダー・フリーというのは要するに、人は「男だから」「女だから」という社会的なプレッシャーから開放されるべきである、という主張のことです。

性差に応じた合理的な役割分担まで否定しようとするものではないと思います。

しかし、社会的・文化的な意味においての役割分担の強制を解消しようとするあまり、いかなる区別的な処遇をも認めないという方向へ傾きがちなのかもしれません。

まともに考えると結構むずかしい問題のような気がします。


例えば平成11年4月の労働基準法改正により、女性の深夜労働・時間外労働・休日労働についての制約が緩和され、原則的には男と女で変わらなくなりましたが、

そもそもそうした「差別」があったのは、おそらくは男性と女性の違いに考慮した上でのことだったのであり、偏見とかそういうことではなかったように思います。
ぶっちゃけて言えば、男性が襲われるよりは女性が襲われる確率のほうが明らかに高いという事実に配慮したわけです。(他にも理由はあると思いますが…。)

ただ時代が変化して、そこまで規制することが不合理になってきて、改正したのだと思います。

この改正は一応納得のいくものであります。

男女間で明白な差異があるとまでは言えなくなってきたわけです。


これに対し、男性は子どもを産むことはできない性であるけれど女性は子どもを産む性である、というような絶対的な差異については、当然配慮がなされるべきです。



要は、主観的にしか捉えられないような区別を一方的に押しつけず、客観的に明白であると認められる区別に重きを置くべきだということです。

単なる偏見によるような区別は、除かれてしかるべきでしょう。




さて最後に、

マザーテレサが第4回国連世界女性会議(北京会議)に向けて送ったメッセージを引用したいと思います。

これはジェンダーフリー論者にとってあまりに耳が痛いものであったため、結局は彼らによって葬り去られてしまったと噂されるものです。

少々長いかもしれませんが、興味のある方は是非読んでみてください。



☆☆☆

親愛なる皆様へ

 第4回世界女性会議で北京にお集まりの全ての方々に神の祝福のあらんことをお祈り申し上げます。私は、この会議によって、あらゆる人々が、神の計画において女性だけに与えられた役割を知り、それを大切なものと受けとめ、さらに尊厳を与えること、それによって、ひいては女性達が一生のうちにこの神の計画を実現できることを希望します。

 私には、なぜ男性と女性は全く同じだと主張し、男女の素晴らしい違いを否定しようとする人々があるのか理解できません。神より授けられたものは全て善きものでありながら、全てが同じものであるとは限りません。私はよく、私のように貧しき人々のために尽くしたいとおっしゃる方に対して、「私にできてあなたにはできないこともあり、あなたにできて私にはできないこともあります。しかし、ともに力を合わせれば、神にとって何か素晴らしいことができるのです。」と申し上げます。男性と女性の違いとは、これと同じようなものなのです。

 神は、私達ひとりひとりをお造りになりました。そして、更にありがたいことに、全ての人々を、愛し、愛される存在にして下さっているのです。では、神はなぜあるものを男性に、またあるものを女性にお造りなったのでしょうか。それは、神の愛のひとつの形が女性の愛で表わされ、別の形が男性の愛で表わされるからです。どちらも愛するために造られていながら、それぞれの愛し方が違うように、男性と女性は互いを補い合って完成されるものであり、神の愛を体現するには、どちらか一方よりも両方そろった方が、より神の愛に近づくことができるのです。

 女性特有の愛の力は、母親になったときに最も顕著に現れます。母性は神から女性への贈り物。私達は、男女を問わず世界中にこれほどの喜びをもたらしている素晴らしいこの神の贈り物に、どれだけ感謝しなければならないことでしょうか。しかし、私達が、愛することや他者のために尽くすことよりも仕事や社会的地位の方を大切だと考えたり、妊娠中絶をしたりすれば、この母性という神の贈り物を破壊することにもなりかねません。仕事も、夢も、財産も、自由も、愛に代えることはできません。母性を破壊するものは全て、神から女性へのの最も大切な贈り物―女性として誰かを愛する力―を破壊するものなのです。

 神は私達に「汝を愛するがごとく隣人を愛せよ」とおっしゃいました。だから、私はまず正しく自分を愛し、それからそれと同じように隣人を愛します。しかし、神が自分をお造りになったことを受け入れないとすれば、どうして自分を愛することなどできるでしょうか。男女の素晴らしい違いを否定する人々は、自分たちが神によって造られた存在であることを認めようとしませんし、それゆえに隣人を愛することもできません。彼らがもたらすものは、対立と不幸と世界平和の破壊でしかありません。例えば、私がこれまで再三申し上げてきたように、妊娠中絶は現在の世界平和にとって最大の破壊者であり、男女の違いをなくそうとしているのは皆、妊娠中絶に賛成する人々なのです。

 死と悲しみの代わりに、世界に平和と喜びをもたらしましょう。そのためには、神に平和という贈り物を願い、互いに神の子の兄弟として愛し合い、受容し合わなければなりません。子供達が愛することと祈ることを学ぶのに最もふさわしい場は家庭です。家庭で母父の姿から学ぶのです。家庭が崩壊したり、家庭内に不和が生じたりしていれば、多くの子供は愛と祈りを知らずに育ちます。家庭崩壊が進んだ国はいずれ多くの問題を抱えることになるでしょう。私は、とりわけ裕福な国々で、愛情不足と疎外感から逃れるために薬物に向かう子供達を幾度となく目にして参りました。

 しかし、家族の絆が強く、家庭が円満であれば、子供達は父母の愛の中にかけがえのない神の愛を見ることができ、自分の国を愛と祈りに満ちた場にしていくことができるのです。子供は神から家族への最高の贈り物ですが、子供にとっては父と母の両方が必要です。なぜなら、父親は父親らしいやり方、母親は母親らしいやり方で神の愛を体現して見せるからなのです。ともに祈る家族が離れていくことはありません。そして、家族がひとつであり続ければ、神がそのひとりひとりを愛してこられたように、互いを愛し合っていけるでしょう。愛のあるところには常に安らぎが生まれます。

 心に愛の喜びを抱き続けましょう、そして、出会った全ての人々とその喜びを分かち合いましょう。北京会議の全ての出席者と、この会議によって救われようとしている全ての女性が、ともに愛と安らぎの中で暮し、それぞれの家族とこの世界を神にとって美しいものにするために、おひとりおひとりがマリアのように慎ましく、清らかであることをお祈り申し上げます。
 
 ともに祈りましょう。

 全てを神の栄光と御心に捧げて。

 神の祝福あらんことを。


       マザー・テレサ


☆☆☆




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