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「誘発」に関する考察 (児童ポルノ規制に関して) 

児童ポルノ規制に関する弊ブログのhttp://orangekick.blog19.fc2.com/blog-entry-1003.htmlの記事に対し、次のようなコメントをいただきましたので、それに答えつつ、あらためて私見を述べてみたい。

そのコメントは次のようなもの。


★★★

心理学的側面からのアプローチがデータ提示よりも有意義とhttp://orangekick.blog19.fc2.com/blog-entry-983.html
で述べていらっしゃいますが、
>さて、およそ20年以上前の時代と今の時代を比べて、性犯罪は減ったのでしょうか??
と書いてデータに論拠を求めつつ、しかも肝心の数字を出さないのでは、心理学的・データ的のどちらのアプローチとしても中途半端ではないでしょうか。

★★★


さて、やや中途半端だったかもしれません…。

ただ、「肝心の数字」を出さなかったのは、データに論拠を求めていないからであり、また、単に性犯罪の数が減ればいいとは考えていないからです。

特に少年少女への性犯罪に関しては、いくら無理だと言われようと、性犯罪被害の減少ではなく、あくまで根絶を目指すべきです。

http://orangekick.blog19.fc2.com/blog-entry-1003.htmlでも少し触れましたが、「単純所持規制やバーチャル規制などをしないことが、児童への性犯罪の抑止につながる」という考え方は、非常に後ろ向きであり、人間の可能性への過小評価といわざるを得ない。

おそらく大多数の方は、核の完全廃絶と同じくらい、児童性犯罪の根絶をあきらめているのかもしれない。

しかし、人間はまだ人間のことをさほど分かっているわけでもない。
色々な側面から性犯罪阻止の方法を検討することで、もっと前向きで効果的な抑止策を実現できると私は思うのです。その一つが心理学的側面からのアプローチです。

確かに、単純所持規制などの法規制と児童性犯罪増加との因果関係は0とは言えません。単に被害の数を減らすという目的に絞れば、あえて規制しないという考えも間違いではない。

でも、その発想は、いわば「諦め」に基づくものであり、最後の最後にやむを得ずとる手段に過ぎないと思う。それをさも最も有効な抑止策のように主張する態度は、おそらく正しくはない。


さて、どこまでいっても私は規制賛成派なのですが、その論拠を示す前にまず、漫画、アニメ等のバーチャル表現による児童ポルノについての規制反対派・規制慎重派の意見を整理したい。

(ちなみに、何歳未満を児童とすべきかという年齢の線引きの問題は、ここでは論じない。以下、「児童」という場合は小学生以下の年齢をイメージしていただきたい。)


規制反対派・規制慎重派の意見は、2002年の米国連邦最高裁による、いわゆるアシュクロフト判決におよそ集約されており、まずはその判決について紹介したい。その内容は以下のとおりである。(原告は「表現の自由連盟(業界団体)」。被告は「政府(アシュクロフト司法長官)」。なお、原告勝訴。)

★★★

◆政府は、CPPAは実際に児童を使った児童ポルノと区別がつかない作品を禁止しているのだ、と主張する。しかし、ファーバー判決で禁止された作品は、それ自体が児童に対する性的搾取(sexual abuse)の記録であるのに対して、CPPAが禁止している作品は、犯罪の記録でもなければ、それによって犠牲者を作り出しているわけでもない。
◆政府は、ヴァーチャルな作品が児童に対する性的搾取につながる、と主張するが、その因果関係は明白ではない。
◆政府は、児童ポルノが価値ある表現であることはまれなので、因果関係は間接的でもよい、と主張する。しかし、ファーバー判決は、児童ポルノの内容を問題にしているのではなく、その制作方法自体を問題にしているのであり、また、児童ポルノそのものには価値がない、としているわけでもない。
◆政府は、小児性愛者がヴァーチャルな児童ポルノを児童を誘うのに利用するかもしれない、と主する。しかし、それ自体が合法的な存在でありながら違法なことに利用されるものは無数にある。
◆児童を保護するために「成人の権利の内にある表現(speech within the rights of adults to hear)」すべてを完全に禁止することはできない。
◆政府は、ヴァーチャルな児童ポルノは小児性愛者を刺激し違法な行為に走らせる、と主張する。しかし、表現を、それが持つ単なる傾向だけで禁止することは出来ないし、それによっていつか違法行為が行われるであろう可能性が高まる、というだけで禁止することもできない。
◆政府は、ヴァーチャルな児童ポルノの禁止は児童ポルノ市場をなくすためにも必要だ、と主張する。しかし、ヴァーチャルな児童ポルノが流通すれば、却って違法な児童ポルノは姿を消すのではないか。
◆政府は、ヴァーチャルな児童ポルノが流通すれば、実際の児童ポルノの制作者を訴追することが困難になる、と
主張する。この主張に従えば、結局「憲法によって保護されない表現を禁止するために、憲法に保護される表現を禁止する」ということになるが、そのようなばかげたことはない。

(以上、「CS成倫勉強会講義録(要旨)」を掲げたサイトhttp://www.seirin.org/rep141018.htmlから引用)

★★★


上記の中で特に「政府は、ヴァーチャルな児童ポルノは小児性愛者を刺激し違法な行為に走らせる、と主張する。しかし、表現を、それが持つ単なる傾向だけで禁止することは出来ないし、それによっていつか違法行為が行われるであろう可能性が高まる、というだけで禁止することもできない。」の部分が一番のポイントでしょう。

「それによっていつか違法行為が行われるであろう可能性が高まる、というだけで禁止することもできない。」の部分は必ずしも「可能性が高まるとはいえ、それだけで…」という意味ではなく、「可能性が高まると仮定しても、それだけで…」という意味であり、必ずしも「高まる」と断定したわけではない。

可能性が高まることが将来的に証明されても禁止はできないというわけだが、法律というものは得てしてそういうものである。単に誘発するというだけでは規制できない。この事情は日本でも変わりはしない。

規制反対派・慎重派による主張の眼目の一つはそこにあるのであり、彼らにとっては、「そもそも誘発しない」という主張以上に強力な論拠となりましょう。

簡単に整理すれば、規制反対派・慎重派の主張は、
① 単純所持規制やバーチャル児童ポルノ作品規制は、児童への性犯罪を誘発しない。
② 仮に誘発するとしても、誘発するというだけで法規制をすることは妥当性を著しく欠く。
ということになるかと思います。


で、私の意見ですが、
まず①について。

「誘発する」かどうかを検証するには、実験をすればいいのでありますが、たとえば、同程度の幼児性愛嗜好を持つ者を二つの集団に分け、一方のグループには児童ポルノ作品(又はバーチャル児童ポルノ作品)を所持・鑑賞させ、もう一方のグループには、一切所持・鑑賞させずにおき、彼らが児童性犯罪を侵すかどうかを5年程度監視すればいい。

しかし、こんな実験は当然不可能です。
いろんな意味で無理がありますよね。

上記の実験は極端であるにしても、ヴァーチャルな児童ポルノが小児性愛者を刺激し違法な行為に走らせるか否かについて検証することは容易ではなく、事実上不可能と言っていい。もし検証する方法があるとするなら、違法行為に走った者が日頃ヴァーチャルな児童ポルノ作品を所持・鑑賞していたか否かの調査ということになりましょうが、この方法にしたって、違法行為に走った原因が犯罪者の生来の偏った嗜好性によるのか、当該のバーチャル作品によるのかはおよそ判然としない。

誘発するかどうかの厳密な立証など所詮無理であり、これは犯罪心理学的な見地から推定するのが精一杯といったところ。

そういう意味では、ネット上で見かける「性犯罪発生率の推移と法規制の時期との関係を示すデータ」は、そんなに有力な根拠とはならないはず。大いに参考にはなりますけど。

そもそも、人種も環境も歴史も法律も生活習慣も何もかも違うというのに、どうして単純に比較できるのか?

私は、いわゆる「立証」はほぼ不可能だと考えます。
もし将来、人の心の動きに関する、物理法則然とした検証可能な厳密な機制が発見されれば別ですが。

実験データ等を用いて立証できない以上は、それ以外の見地から最大限の推定を働かせる他はない。「それ以外の見地」には、心理学的、精神医学的、経験則的、哲学的な見地に加え、神学的見地までもが含まれるべきでしょう。


そういうわけで、科学的な根拠に基づいてというわけではありませんが、
私は「誘発する」と考えます。

その論拠は次のとおり。
(ここでは、あえて単純所持規制、バーチャル作品規制を統一的に「単純所持規制等」とします。両者に通底する部分を問題にしているからです。)

1. 児童ポルノ作品(リアルかバーチャルかを問わない)を鑑賞する行為を繰り返していると、現実の児童を目にした時に自動反応的に裸体を連想することが通常の人より格段に多くなり(というか、普通の人は裸体などいちいち連想しない。)、その連想(無意識的な場合もある)が人によっては犯罪行為への衝動に転化する。衝動の前には必ず意識的又は無意識的な連想があるのであり、連想することがなければ衝動は生じない。よって連想の機会を激減させる事が犯罪行為の抑止には有効である。

2. 何事であっても日常的に身近に存在すると、いわば「慣れ」が生じてくる。たとえそれがどんなに異常なことであっても、心の平常・均衡を保つべく、なんらかの心理的防衛機制が働いて半ば無意識的に順応しようとする。児童ポルノ(幼児性愛)の場合、一般的には「異常」とされており、異常ではないと言い張る人でも内心は「異常」という自覚はあるのであって、だからゆえに、心のバランスを保つために、無意識下に「異常ではない」ことの理屈付けをしようとする。バーチャル児童ポルノ作品が氾濫することや、児童ポルノ作品の単純所持が法的に許されていることは、この理屈付けの一部となって、幼児性愛者の心の均衡に寄与することとなる。幼児性愛者だからといって必ずしも児童性犯罪を犯すわけではないが、児童性犯罪を犯す者は総じて幼児性愛者であるのであるから、幼児性愛者の心の均衡に寄与するということは、潜在的な児童性犯罪者の心の均衡に寄与することとなる。思うに、児童性犯罪を犯す者は往々にしてこの「心の均衡」が出来上がってしまっているのであり、この「心の均衡」を崩すことが児童性犯罪の抑止には効果的である。単純所持規制等を実行しないことは「心の均衡」をいわば助長しているのであり、結果的に性犯罪を誘発していることになる。誘発しないためには、上記の「理屈付け」を強化するような現状を変え、幼児性愛者が自らを「異常」であるとしっかりと自覚できるような状況に持っていくべきである。自覚が薄弱であれば、更正への道を模索しようともしないであろう。
もっとも、幼児性愛者だからといって必ずしも児童性犯罪を犯すわけではないので、やや乱暴で粗雑な議論に見えることは承知していますが、あくまで「誘発するか否か」に絞った議論ですので、厳密に言えば粗雑ではないと考えます。

<上記の補足> 扇情的な作品に限りますが、もし仮に自分に幼い娘がいたとして、隣の家に(バーチャル)児童ポルノ作品を所持して日夜鑑賞している男が住んでいるとしたら、規制反対派・慎重派の皆さん、それでも「実際に犯行に及ぶかは全くの別問題であり、表現の自由は守られねばならない。」などと平然と言えるのですか?
その理性をよっぽど信用できる場合は別ですが、そうでない限りは、私だったら引っ越しを考えます。反対派の皆さんも引っ越す方向で考えるのではないでしょうか?
理屈と実際は違うと思います。通常の嗜好の人よりは児童性犯罪を犯す確率が高いのです。何故なら、少なくとも彼らは幼児性愛者だからです。



次に②の「仮に誘発するとしても、誘発するというだけで法規制をすることは妥当性を著しく欠く。」について。

これに対して反論するのはなかなか難しいですが反論します。

②は、場合によりけりだと思うのです。
分かりやすく「包丁」と「酒」に分けて考えてみますが、

包丁については、それが誰かを誘発して殺傷に使われたとしても、包丁の使用を禁止せよという流れにはなりません。
そうした誘発がほんの一部の人にしか発生しないことに加え、仮に誰かを誘発したとしても、本来の目的から大きく外れているからです。この場合は禁止はあり得ないし議論する必要もない。どんな物でも凶器になるといえばなりますからね。

一方、酒については、飲酒運転による悲惨な事故、一気飲みによる急性アルコール中毒死、飲酒によるDVや虐待、泥酔しての暴力事件やプラットホームからの落下、などが起きているからといって、包丁の場合と同様、飲酒を禁止せよという議論は全く起きませんが、包丁と違うのは、本来の用途とは違う使い方をしたわけではないということです。酒の場合は「量」の問題です。この場合、は包丁の場合ほどの飛躍はない。酒の水槽に沈めたとか強い酒に引火させて放火したとかならともかく、酒本来の目的・用途は飲むことです。飲酒運転や泥酔してのDVなどは、本来の用途である飲む行為によって(間接的にであれ)引き起こされています。

酒を飲めば酔うのは当たり前であり、飲むべきでない時に飲んだり、過度に飲んだりすることで、種々の問題が生じます。

では、児童ポルノ作品の場合はどうか?
私は包丁的でもあり酒的でもあると思います。

こうした作品の鑑賞と児童への性犯罪とは、「性的欲求の充足」という共通項がありますが、鑑賞に留まるか、性的刺激を行動に移し犯行に至るかには、質的(包丁的)に極めて大きな開きがあります。刺激が衝動へと変換されて犯行に至ったといえる場合は質的な問題でしょう。
また、量的な観点からは、同じ鑑賞でも、「好奇心に駆られて少しだけ鑑賞するという場合」と「どっぷり浸ってマニア的に収集して鑑賞する場合」とでは大きな違いがあります。程度を考えずに鑑賞に浸りすぎて結果的に事件を起こしたといえるのであれば量的な問題となります。

言いたいのは、
前者の質的飛躍による誘発の場合は規制はあり得ないが、量的な問題による誘発の場合は規制は「あり」だということです。いってみれば、飲酒が禁止されたって、包丁ほどには反対しないということです。

包丁を禁止するのは無茶苦茶ですが、酒を禁止するのは無茶苦茶とまでは言えない。
児童ポルノ作品の場合も、過度の耽溺が原因となり得る限りは、禁止されても決して「著しく妥当性を欠く」とは言えないと思う。

②の「仮に誘発するとしても、誘発するというだけで法規制をすることは妥当性を著しく欠く。」は量と質の問題を
ごっちゃにした結論であり、あくまで法規制のあり方という見地からは、反論せざるを得ない。



長くなってしまいましたが、とりあえず終わりです。
ここまで読んでくださった方、誠に有難うございました。
大して推敲もせずに書いたので、議論が混乱している部分があるかもしれませんが、その辺は目をつぶって下さい。

要は、制作者側も鑑賞者側も少しは自重しろ、ってことです。
児童がいかに弱い存在であるか、知力・体力ともにいかに無防備な存在であるかを考えて欲しいわけです。

では。



<追記>
①と②はしっかりと切り離して読んでいただきたく思います。

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