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桜宮高校の在校生へ 

<生徒の声>

入試中止や教員の総入れ替えを求める橋下市長に対して。

『 市長から大切な学校を侮辱され、
多くの生徒が傷ついた。
私たちの先生を奪わないで。』


入試中止の決定をした教育委員会の会合のあとで記者会見した桜宮高校の在校生の声
(運動部のキャプテンを務めた3年生の男女8人)

『 桜宮高校の体育科などに魅力を感じて受験を
希望していた人がほとんどだと思うので、
普通科に変えるのはとても残念です。
入試のやり方を変えればいいというわけでなく、
在校生の私たちも納得できません。』

『 このまま自分たちの大切な後輩を残して
卒業できないので、体育科として入学試験を
行うよう求めるとともに、桜宮高校の
すべての先生を人事異動で入れ替えないでほしい。』
(以上、ある女性徒)


21日朝の橋下市長による説明に対する声。

『 私たちの話を十分に聞いてくれなかった。
大勢の生徒の前ではなく、少人数で対話してほしい。』



うーん。
子どもたちの気持ちも分からんこともないけど、どうにも近視眼的だ。
入試のやり方も変えず、教師も入れ替えず、体育科も残すってことになれば、ほとんど何も変えないことになってしまう。何も変える必要がないってことなのか?

「入試のやり方を変えればいいというわけでなく、在校生の私たちも納得できません。」というが、じゃあどうすればいいと思うのか? 代替案は?



この問題は、例えて言うなら、離れと母屋がある一軒家で、離れが火事になってしまったようなものだ(母屋が普通科、離れが体育科。)。火事は発見されたが、まだ消火の途中の段階。

ところが、その離れの住人が、
「友人呼んで誕生会やる予定なんだから、とにかく使わせてよ!今更変更なんか絶対にできない!」とか、
「こもってテスト勉強するんだから、入らせてよ! もしテストの成績が悪かったら、責任とってくれよな!」とか、言っているわけだ。

その住人にとっては、離れは燃えていないように見えるのでしょう。
実際には、まだ燃えていて消火作業中なのに。

橋下氏は、上の例で言うなら、
「火が消えていないのに、中に入るなんてとんでもない!」という感じ。

一方、桜宮高校の生徒は、
「火事っていたって、ボヤ程度でもう消えてるよ。入らせないとか意味がわかんない!」という感じでしょうか。

さて、どちらが正しいのか?



私は、やはり前者だと思う。
火はボヤなどではなく、まさにまだ燃えている状態。
いかに重要な用事があろうと、燃えている離れに入らせるわけにはいかない。

こんな言い方をすると在校生の、特に体育科の在校生の人達を傷つけるのかもしれませんが、別に生徒たちがどうだこうだと言うつもりは毛頭ない。

誰かが悪いとするならば、それは教師であり、OBであり、保護者であり、あるいは、教育委員会や行政であろう。見て見ぬふりも同罪などという理屈を、教師などの大人には当てはめるのはよくても、子どもたちに当てはめるのはさすがに酷だ。

生徒が環境を変えるというのは、おそらく至難の技。
2年間暴行の記録を取りつづけた生徒がいたというのも、
実際、それぐらいしか抵抗の手段がないからでしょう。

基本的には生徒たちは今回の事件の被害者だ。



しかし生徒たちに言いたい。

冒頭に掲げたような言葉が出てくるのは、
頭でとことん考えた結果ですか?
どこか感情的になってはいませんか?

批判や侮辱をされることへの単なる反発心が少なからずありませんか?



通っている学校、あるいは通っていた学校というのは、
学生にとっては、人生の道のりを歩んでいくための一時的な乗り物にすぎない。

言ってみれば、川を渡るいかだのようなもの。
川を渡る際には大いに使えばいい。
しかし、渡ってしまえば、前を見なければいけない。

学校と一心同体のような心境でいると、
学校が侮辱された場合に、自分もひどく傷つく。
逆に、学校が高い評価を受けた場合に自分が褒められたような気になる。

でも、学校=自分じゃない。
学校の一部でもなければ付属物でもない。

学生にとって、学校の存在はでかいでしょうから、
つい一心同体的な感覚になりがちでしょう。
ましてや、そこそこの愛校心があるような生徒たちは、
なおさらだ。

愛校心を否定しているんではなく、
愛校心ゆえに過度に学校と自分を同一視することを否定したい。

この現象はどこでも見受けられるありふれたものですが、
結果的には自分を苦しめることが少なくないと思う。

旦那が超一流会社であることを鼻にかける妻とか、
家が金持ちなのを自慢する子どもとか、ちっとも幸せには見えない。

学生には、外見、出自、学歴、職業、裕福さなどの外部的なものが放つ光が、さほど美しいものではないことを分かって欲しい。本当に美しいのは、そういったすべてを失ってもなお内側から発せられる光だ。



その光は、学校が侮辱されても廃校になっても、
決して消えることのない光だ。





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