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死ぬまでに一つの心だけにでも… 

モーリアックという人の言葉です。
名言というのはこういう言葉のことを言うのかもしれません。


☆☆☆

死ぬまでに一つの心だけにでも、深く分け入ることができたら、それで幸せとしなければならない。

      フランソワ・モーリアック
      「蝮(まむし)のからみ合い」より

☆☆☆


フランソワというと女性のように思うかもしれませんが、この方は男性です。フランソワーズだと女性になるようです。フランス語はさっぱり分からないのですが、多少フランス語を知っている人にとってはわりと当たり前のことのようです。モーリアックはモーリヤックとも表記されることがあります。

この方、一応カトリックの作家などと呼ばれているようですが、その作品は「癩者への接吻」「キリスト者の苦悩」「愛の砂漠」「テレーズ・デスケイルー」といった感じで、どちらかと言えばカトリック教徒から非難を受けそうなタイトルです。実際、小説の内容について何かと非難を受けていたようですが、詳細はよく分かりません。

「テレーズ・デスケイルー」という作品で1952年にノーベル文学賞を受けているのですが、この作品には私はとても興味があります。

名家に嫁いだテレーズという女性が主人公なのですが、このテレーズが徐々に夫に対して嫌悪感を持ったか、あるいは自分の置かれた立場や役割に嫌悪感を抱いたのか、とにかく旦那に砒素を盛って毒殺しようとするわけです。そういう怖い女性の話ということになっています。

このモーリヤックという人は、フランス心理小説の最高峰などと言われる人で、利己心や愛欲といった人間の内面のどろどろした部分を鋭く執拗に描いた作家として知られています。作家として一種独特の地位を築いたといってもいいと思います。

この「テレーズ・デスケイルー」はまだ読んでいないので、自分のためにも、近いうちに是非読んでみたいと思っています。

旦那に対して
「大体この人は毛が多すぎる」とか思うようになり、
徐々に嫌悪感を募らせていくとのこと。

しかし毛が多いことなんて結婚当初から分かってたはずでは?


しかしありそうな話です。
リアルです…。


そうそう、忘れるところでしたが、
冒頭に引用した名言。

こういう言い回しは本当に独特です。

奇をてらったわけでもなく、また単純でもない。
テレビドラマや映画なんかに出てきそうで、まず出てこないような言葉。

こういう言葉は、モーリアックの人生そのものから出てくるものであって、ちょっと頭をひねって出てくるようなものではない。



その言わんとするところは、深く、そして重いと思います。

マザーテレサは「愛の反対は無関心だ」と言いましたが、逆に言えば、愛することは相手を知ろうとすること、ということになります。

つまり、関心をもつということ。


この「関心をもつ」ということがない所には「愛」はない。

なにか1+1=2のように納得できます。



モーリヤックの言葉は、このマザーテレサの言葉とは多少意味合いが違うとは思いますが、どこか重なってるように思います。

私自身のおぼろげで気取ったモットーに、
「たとえ一瞬でもいいから、誰かを本当の意味で愛せたのなら、次の瞬間死んでも本望である」というのがあります。

誰かが言った言葉なのか、あるいは自分で思いついた言葉なのか、何だかよく覚えてないのですが、今でも一応自分のモットーです。


モーリヤックの言葉は、このモットーにやや近いどころか私にとってはほとんど同じ意味です。

他人の心なんて100年一緒に暮らしたって、きっとこのモーリヤックの言う意味では、そうそう分かるものではないと私は思います。

だから安易に「あの人のことは知り尽くしている」などと思わないほうがベターです。

その時点で相手を知る努力を放棄していますから。


努力をして相手の心に深く分け入ることができ、理解できたということは、その人を深く深く愛したということに他ならないと、

あえて断言しましょう。


ご清聴どうもありがとうございました。



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