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不幸なときは世間を知れ 

ソクラテスの言葉にこういうのがある。

☆☆☆

我々が皆自分の不幸を持ち寄って並べ、
それを平等に分けようとしたら、

ほとんどの人が今自分が受けている不幸の方がいい
と言って立ち去るであろう。

☆☆☆


これを読んで何かと似てると思った。

そう、キサー・ゴータミーの話だ。



キサー・ゴータミーというのは、幼い一人息子を病気で亡くしてしまったある若い母親の名前で、仏教の経典の中に出てきます。

彼女は息子の死という事実を受け入れることができずに、治してくれる人を求めて方々を探し歩いたとのことです。

ある医者のすすめに従って仏陀のところに行った彼女は仏陀に「この子を生き返らせる薬を下さい」と懇願しました。

その彼女に対して仏陀が言った言葉は、

「ゴータミーよ、よく聞きなさい。それでは今から町に行き、家々を訪ね、まだ一人の死者も出したことのない家から、芥子の粒をもらってきなさい。そうすれば、その薬を作ってあげよう」

というものでした。

上のソクラテスの言葉と何か空気が似てるように感じます。



その後ゴータミーは「一人の死者も出したことのない家」を一軒一軒探していくんですが、

なかなかそんな家を見つけることができず、そのうち何かを悟っていくわけです。

最後に彼女は息子の亡骸に向かってこう言います。

「坊や、ごめんなさい。あなたのお薬はみつからなかったの、でもおシャカさまにお礼を申し上げにいきましょう。坊や、いちばん大切なことを教えてくれてありがとう…。」


つまり「隣の芝は青く見える」の逆で、

「我が家の芝はくすんで見える」ということです。(こんな格言はありませんが。)


ソクラテスやお釈迦様が言わんとしているのは、

「他人を良く見ることによって、自分だけが特別に苦しいわけじゃないと分かってくる」

ということだと思います。


もちろん子を失った悲しみ自体は残ると思いますが、

その悲しみを増幅させていた「なぜ自分だけが」みたいな思いから解放されるんでしょうね。


自分だけが苦しいんじゃない、みんなもそれぞれに苦しい。

当たり前のことのようで、いざ苦しみに直面するとそんな考えは浮かんでこなかったりする。


奈良の放火事件なんかにしても、放火して家族を死なせてしまうほどの苦しみだったとは思えない。

でも特別に不幸だと思えてしまったんでしょうね。

どこの家でも同じだったら彼もあんな犯罪は起こさなかったように思う。


絶望に陥ってる人は是非上の二人の言葉を参考にしてほしい。


私も、自らへの戒めともしたい。



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