ダンテの言葉 「神曲」より
まずはダンテの名言、というかダンテの書いた小説の中の言葉を一つ。
☆☆☆
幸福の日々を逆境のときに偲ぶことほど、大きな苦しみはない。
ダンテ「神曲」より
☆☆☆
「偲ぶ」は「思い起こして懐かしむ」というような意味です。
この言葉については正直いって実感がわきません。
幸福の日々といえるような経験がないんです…。
いつかそんな日々が来るように頑張ってはいますが、あと最低でも1年はかかりそうで…。
でも、
でもそんな私にも、この言葉にはうなずけるものがあります。
そんな幸福な日々をいまだ知らない人(私とか…。)というのは、そういう意味においては幸せなのかなと思えるのです。
本当に幸せの絶頂のような日々を過ごしてそこから落ちてしまった人と比べれば、その絶頂を知らない分「今」が肯定できるでしょうから。
でもそんな考え方も消極的といえば消極的かもしれない。
一生そんな絶頂の日々を体験することなく死んでいくよりは、たとえ一時でも絶頂の日々を味わったことのある人のほうが幸せという気もする。
でも、はかないですよね。
至福の日々が一生ずっと続く人もいるかもしれないけれど、それさえも死んでしまえばそこまで。
この世のことはいつか終わりが来てしまう。
ダンテの言葉を素直に捉えれば、死ぬ間際に幸せの絶頂だった人が一番幸せということになるかもしれないけれど、それも死ぬ瞬間を基準にすればやはり過去に過ぎない。
永遠に続く幸せってないんだろうか?
ダンテについて少し紹介しますが、何と言っても「神曲」が有名です。そしてその「神曲」に出てくるベアトリーチェという女性が有名です。
なんでもダンテが9歳の時に出会った、実在の8歳の美少女ベアトリーチェのことだそうですが、「神曲」の中はともかくとして、ダンテ自身が生涯にわたってまさに「永遠の女性」として愛し続けた存在だったそうです。
「神曲」は20歳ぐらいのときに一度読んだきりですが、地獄編・煉獄編・天国編の3編からなる長編の作品で、特に天国編に出てくるベアトリーチェには何か心が圧倒されたような気持ちになったものです。
おそらく「神曲」の深みのほんの一部ですら理解できなかったものとは思いますが、ベアトリーチェは印象に残っています。
ダンテは、イタリアを代表する13世紀の詩人で、正式にはダンテ・アリギエリ(又はダンテ・アリギエーリ)といいます。
西洋ルネッサンスの先駆けともいえる存在です。
ルネッサンス文学の最高峰なんて言われることもあります。
なんだか、すごい人のすごい作品で、とにかくすごいんですが(なんのこっちゃ…。)、ダンテにとってベアトリーチェの存在とは何であったのか、さらにはダンテにとって「女性」とは何だったのか、という視点で読むととっつきやすいのかもしれません。
ある意味では究極の女性賛歌なのかな、とも思います。
えーと何でしたっけ?
ああ、幸福の日々と逆境についての名言でしたよね。
たとえ一時の幸福でも、その思い出を心に持っていること自体を無上の幸福に思える人もいると思いますし、それはそれで何か美しいと感じます。
でも、祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり…、ではないですが、なにか「諦め」に似た感情を抱きます。
「諦め」が悪いとは言いませんが、
やっぱり永遠の幸福ってものの可能性を簡単には捨てることができません。
今の今まで1%の可能性もないことだったとしても、次の一瞬には
事情は変わってるかもしれない…。
りんごを手に持って手からりんごを離せば、りんごは手から落ちる。
ニュートンさんの言うとおり。
でもそのニュートンの法則(引力の法則)が次の一瞬にも消え去っているという可能性がある。
つまり、りんごは落ちないかも知れない。
持論ではありますが、引力の法則にしてもアインシュタインの相対性理論にしても、
あるいは、ボーア、ハイゼンベルグ、ディラック、シュレーディンガーらが打ち立てた量子力学にしても、
ほんの次の一瞬において全く通用しないという可能性は0ではない。
結局、どれもこれも究極的には「経験則」である。
次の一瞬に重力が消え去るという可能性は0ではない。
科学的思考の持ち主ならきっと同意していただけると思う。
アインシュタインもきっと同意してくれるはず…。
長々とお付き合いくださいまし、
まことに有難うございました。
お暇でしたら是非またお付き合いください。
- [2005/11/07 04:24]
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