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田母神氏の主張について。 (原さんはそんなに間違っていないと思う。) 

最近の田母神俊雄・前航空幕僚長の発言を、今宵の酒の肴にしたいと思う。
12月1日の日本外国特派員協会の講演ではこう言ったそうな。

 「歴史は勝者がつくるものだ。昔の歴史を持ち出して『おまえの国が悪かった』と言うべきではない。」
「周辺国から『日本は侵略をした、ろくな国じゃなかった』と散々言われ、黙っていることは日本の国益を損なう」

これに対し、ある米国人ジャーナリストは、「集団的自衛権の行使容認など、賛成できる部分もあるが、戦前の日本の行動がすべて正当だったかのように述べる彼の議論は、あまりに一面的。米国人は、相手にしていないだろう」と述べたそうですが、

この米国人ジャーナリストと田母神氏の間では、前提というか基本認識がどうにも共有されていないように思います。田母神氏がゲスト出演した11月30日放送の「たかじんのそこまで言って委員会 国防スペシャル」も1/8から8/8まで全部見てみましたが、やはり同様でしたね。

相対的善悪と絶対的善悪が峻別されていないのですよ。
だから、同番組で核兵器反対論者の原和美さんが攻撃されたりするわけですよ。

新社会党副委員長であって、9プラス25改憲阻止市民の会世話人でもある原和美さんの「核兵器は絶対に保有すべきではない」という主張はもっと重く受け止めるべきである。なぜなら、世界唯一の核被爆国でもある日本が核保有を否定する意義は相当に重いし、また、絶対的な意味において、戦争への積極参加を暗に示す核保有は「悪」であるからだ。

何故、日本がアジア諸国を侵略したと認めた村山談話があれこれ批判されるかというと、そういう批判者が絶対的善悪と相対的善悪を混同しているからに他ならない。戦争当時は、確かに自国を守るために武力を行使することを正当化せざるを得なかったといえますが、それはあくまで相対的な正義である。絶対的には戦争は悪であり、その用に供される武力も当然悪である。

憲法9条を少し見てみましょう。
そこには、こう書いてあります。

<第9条>
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

私は、原和美さんの言うように、憲法としては理想を掲げるべきだと思います。政治家はリアリスティックでなければならないというのも分かりますが、憲法までもリアリスティックになるのは危険なことだと感じます。キリストの有名な山上の垂訓がそうであるように、国家の最高規範というものは実現不可能と思えるほどに高邁であらねばならないと思うのであります。

政治家はある程度リアリスティックでなければならないと思いますが、憲法までも同様に考えるのはおかしいと思いますよ。

やらねばやられるという過酷な状況で他国を攻撃したかつての日本は、相対的には正しかったと思いますが、絶対的な意味においては必ずしも正しくはない。何故なら、敵国とはいえ、罪もない市民を無差別的に殺傷していった行為は絶対的に悪であるからです。人を殺すことは、究極的に言えば、必ず悪であるべきなのです。それほど人命は尊く重いものです。

相対的善悪と絶対的善悪をごっちゃにしてるから、いつまでたっても話がまとまらないのだ。

核兵器についても少し言いたい。
アメリカの核の傘の下で守られてる日本が核廃絶を主導的に訴えるのは、確かにお笑いである。
生活保護を受けていながら、「お金なんぞに執着するべきではない」と言い張っているようなものである。

ただ、ですね。
核廃絶を高唱する資格はないのだけれど、それでも声高に核廃絶を主張していいとも思うのです。
理想論にこだわる国が一国ぐらいないと、世界はオシマイだとも思うからです。

おびただしい生命を短時間に奪ってしまう恐怖の兵器の保有に反対して何が悪いというのか?

勝谷誠彦氏や宮崎哲弥氏や田母神氏は、理屈の迷宮に深く入り込んでいるとしか言いようがない。
核保有が強力な抑止力になると主張していますが、絶対に核が行使されないという保証はないのですよ。核を保有すれば、この日本が北朝鮮や中国に向けて核爆弾を発射する可能性が0から0以外に昇格するわけですよ。現にそうなった時のこと彼らは少しも想定していない。彼らは、そんなことは100%あり得ないと決め付けているのです。私に言わせれば誠に浅はかです。おそらくそう信じているからこそ、あそこまで原和美氏を攻撃できるのでしょう。

実際、日本が核を持ったらどうなるでしょう?
アメリカた中国への外交姿勢も多少なりとも変わるでしょうね。
で、それで?

確かに、東シナ海の油田問題とか、色々前進するかもしれません。
でも、それじゃ、バックに暴力団がいることを楯にとって虚勢を張るチンピラと何の違いがありますか?

自国民が守られるなら他国人をいくら殺傷しても構わないというのは、まさにヤクザの発想ですよ。
そんなチンピラ的な発想を阻止しているのが憲法9条だと思いますよ。

確かにGHQに押し付けられたものかもしれませんが、結果オーライです。
誇りとする価値の十分にある規定です。

絶対的善悪の観点からは、憲法9条は死守していい。
それだけの重みがある。

相対的善悪の観点からは、村山談話は破棄していい。当時の日本を鑑みるに、あそこまで卑屈になる必要はないのです。

結論を言いますと、憲法9条はそのままにしておくべき。
自衛隊は雁字搦めを甘受すべき。

でも、日米安保はもういらない。
矛盾が多すぎます。

それで侵略されたら、それでもいい。
これが日本人だ。

日本人とは、そういうものではなかったのか?
恥を重んじるならば、侵略をも甘受する。
それが日本人だ。

そんな馬鹿がいないと思い込んでる勝谷誠彦氏や宮崎哲弥氏に言います。
少なくともここに一人、この私はあなたがたに反論します。

恥を重んじてあえて死を甘受するような輩も少しはいるんだぞ。
勝手に決め付けるな。

さあ、もう寝ます。
たわごとなので、みな忘れてください。
オヤスミナサイ…。



コメント

絶対的?相対的?

原さんて、[北朝鮮も、武器を持たない相手には向かって来ない。だから、日本は、武器を全部捨てるべきだ]とか、夢みたいなことを言った人ですよね。

援護するには、その人の公の発言等、精査したうえのことですよね。

知ってますか?中国で今、爆発的人気の、Google未来世界地図。2050年の日本は、北は北海道から、西は関西圏までしか無い!?[もちろん、四島、その他の諸島など、全て、外国圏]

子供たちが大人になり、中国のナンチャラ省で、元日本人だと馬鹿にされながら暮らすのが、目に見えるようです。

外交や政治に夢を持ち込むべきではないし、日本は、その時期は、とうの昔に過ぎました。

通りすがり改めオサムっちさんへ。

貴君への返信は、12 月8日のブログ記事をもって代えさせていただきます。貴君のコメントをあえて掲載しますが、快くご容赦くださると信じております。

ファーラさんへ

核を持ったことのない国の国民が、核を持つべきだと主張するにあたっては、核保有国の国民の心情や志向性を十分に研究するする必要があります。未経験者の行動としてはごく当たり前だと思います。

ところが、そうしたメンタル面の変化を等閑視する日本人がいかにも多いように感じます。

核を保有することで日本人としての誇りを取り戻すなんていう議論は、机上の空論だと私は思います。
世論調査なんて当てにしてはなりません。そんなものコロコロ変わりますから。

現行の憲法をそのまま維持するというのが、本来の日本人のメンタリティです。

最高法規である憲法だけは、現実的な諸問題を超越して、維持されて欲しく思います。

お返事ありがとうございます

私も昔は憲法改正反対、9条堅持と考えておりました。しかし、今は憲法を改正すべきと考えるようになりました。

私が憂うのは、憲法を遵守すべき政府が、憲法を軽視し、憲法の隙間を縫って自由に法律を制定してしまっている現状です。問題を9条に限っても、テロ特措法、有事法制など、9条をないがしろにしていることは明らかです。「世論によって権限拡大を防ぐことは割りと簡単」とおっしゃっていますが、防衛庁が防衛省に格上げされるなど、現状は拡大の一途をたどっております。

そもそも9条の解釈は自衛隊の存在自体を違憲とするのが通説であり、私もそのように考えます。しかし、それでは自衛隊を解散してしまおうという国民がいったいどれだけいるでしょうか

。私個人も自衛隊は必要だと考えております。国防を国民が担うのは国民=国家であることから自衛として当然のことであるし、国防を他国に依存すること(日米安保条約)を前提とした現在の9条はあまりに不安定で、安保条約がなくなってしまえば国防という観点から見た場合の9条の存在意義は途端に灰燼に帰してしまうからです。そして、貴方のように安保条約を廃止し、それで他国の攻撃を受けた場合には死んでもかまわないと考えている勇気のある国民はそう多くはないでしょう。

憲法制定権力は主権者たる国民にありますが、多くの国民がおそらくは自衛隊の存在を肯定していると考えられます。とすれば、現在の9条はその部分に関して、国民意思からも乖離してしまっているのではないでしょうか。そして、国民意思によって担保されていない憲法だからこそ、与党政府はこれを軽視するのです。

憲法を改正するということは国民の意思を憲法に反映させることで国家権力を抑制するという意味を持ちます。憲法を改正するということは決して9条を廃止するということではありません。9条を改正することは必要ですが、9条1項をそのまま堅持するということは可能です。

また、よく、「この憲法は押し付けだ」という意見が改正派からでますが、押し付けであろうと良いものは良いのです。憲法改正により憲法の理念と国民意思を合致させ、押し付け論を根拠とする改正派を否定することも可能となります。

私が考えるのは、9条の持つ平和の理念を放棄しようということではなく、現実的に平和を希求し、実現すべく、憲法を規定しなおそうということです。

「大多数の国民は9条放棄を願っていない」のではなく、大多数の国民は憲法の理念たる平和主義の理念の放棄を願ってはいないのです。

  • [2008/12/05 21:39]
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  • 通りすがり改めオサムっち
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こんばんは

私も「たかじんのそこまで言って委員会」はちょうど見てました。結構好きなんですよあの番組。そして私も、話が全然かみ合ってないと思いました。
私は、原さんの話は女性の発想から考えてもすばらしいと思いました。そして憲法9条は世界に誇るべき憲法だと思います。私も結果オーライだと思うんです。だって「戦争をしません」って言ってるんです。なんてシンプルで愛にあふれた内容でしょう。私は小さい頃、この憲法9条の存在を知って感動したのを覚えています。

戦争の道具や核兵器って、いくら持ってても不安なものだと思うんです。持っててもに不安が増大して、もっと、もっとともなると思います。アメリカなんて何千発も核爆弾持っててアホかと(笑)。問題なのは、あると使いたがる人、使おうとする時が来るかもしれないということ。銃だって、身を守るためというけれど、あったら使う時がやってくるかもしれないですし、実際そうやって人を殺してしまった人も多いですよね。

悪いことを考えてると悪いことが起こるように、核兵器を持とうとしたり戦争のことを考えたりすると、やっぱり戦争や核をつかわざるを得ない状況になっていくような気がします。

ちなみに私は現在広島在住ですが、広島にいなかった小さい頃からも核兵器は絶対反対!と強く思っていました。

コメント、どうも。

なるほど。
おっしゃることも分かるような気がします。確かに「解釈改憲によって自衛隊の権限がますます拡大されていってしまう」というリスクは軽視できませんね。

しかし、9条1項の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」という文言を堅持したいと考える日本人も相当多いと思われます。現実的には「改正の必要あり」といわざるを得ませんが、この理想を放棄することは、日本人の誇りを失うことにもなるでしょう。

私としては、こうした矛盾を抱えたままでいいのではないかと思います。現実と乖離した9条の存在は、矛盾をもたらす一方で、日本国民の好戦性がいたずらに増すのを防ぐ効用もあると思われます。

思うに、戦争は一定程度の世論の後押しがあって初めてなされ得るもの。その世論を平和に傾けさせる力のある9条を捨てることは、必要もない戦争への加担に対する抑止力を失うことにもなり、
ひいては、国民の生命や財産に対する脅威をいや増すことにもなります。

自衛隊の権限拡大よりも、世論の戦争肯定化の方が、私にはよっぽど恐ろしいことに思えます。

矛盾は取り除くに越したことはありませんが、9条に関しては、あえてそのままにしておくという選択もありではないでしょうか。

自衛隊の権限拡大は、9条の精神に基づく国民世論の反発によって、わりと簡単に抑えこまれるものと思います。

だらだらと長くなってしまいましたが、要するに9条は今のままでいいと主張したいのです。世界に対して、戦争抑止力としての存在意義があるとも言いたい。

形式的矛盾を抱えようとも、大多数の日本国民は9条放棄を願ってはいない。

国の方向性を定めるのが憲法であって、多少の矛盾はあっても、あえて9条を堅持すべきと私は考えます。

自国民の安全や発展だけを考えていては、真の平和はいつまでも訪れない。原爆を投下された日本がそのことを主張するのは、権利でもあり、また義務でもあると思います。

恐ろしく強大で恐ろしく監視・管理される国連軍を設置して、理不尽な侵略を排除するような仕組みを作ることこそ、喫緊の課題だと思いますが、いかがでしょうか。

 憲法は少なからず理想を掲げるべきという貴方の意見には賛成です。現在の憲法も前文には大きな理想が掲げられており、また、憲法によって擁護されている「人権」の概念も、理想の上に成り立っていると考えられるからです。
 ただ、憲法とは通説的に「国家権力を制限し、国民の権利・自由を守ることを目的とする法」と定義されるとおり、国民の権利・自由を国家権力から守ることを目的に規定されるものです。その点で、リアリズムに則って規定されるべきものなのです。普通に生活している分には気づかないものですが、私たちは現実世界で憲法から多大な恩恵を受けているのです。その意味で軍事力という非常に大きな国権を持つ自衛隊を憲法の制限内におかずに野放図にしておくのはいかがなものでしょうか。このままでは解釈改憲によって自衛隊の権限がますます拡大されていってしまうでしょう。9条を改正することで自衛隊に対して憲法規定の縛りをかけることこそ、喫緊の課題であると私は考えています。

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