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カテゴリー  [心に響く名言・格言 ]

先延ばし症候群の特効薬 

Once done is half done.

最近、近くの書店で見かけた言葉。
意味は「とにかく手をつけて始めたら、半分終わったようなもの」。

アンジャッシュの渡部さんがラジオで紹介していたとかいう話もありますが、
おそらく正確には「Once begun is half done.」でしょう。

あるいは「Well begun is half done.」の方が本当かもしれません。
グーグルで調べると用例としてはこれが圧倒的に多いです。
「Once begun is half done.」もある程度使用されているようです。

まあ、どれでもさほど意味は変わらないのですが、
とにかく、私のような先のばし症候群の人たちには特効薬になる言葉です。

よくグズ治療法の書籍で「とにかく手をつけよ」と
アドバイスがなされますが、
先のばし人間にはこれでは足りないのです。
「そんなことわかってるわい!」って感じで心に響きません。

しかし、
「Once begun is half done.」
という言葉は大きな力になります。

理由の一つは、
この言葉がある意味、真実を的確に表現した言葉だからです。
大げさでも何でもありません。

先のばし人間は、数時間程度で終わるかもしれない作業を
なんのかんのと自分に言い訳をして先に伸ばしてしまい、
結果として数週間~数カ月も全く手を付けないというようなことがよくあります。

その先のばし人間が「手を付ける」のですから
これは、物凄く大きな進展なのです。

先延ばし人間は、
「面倒くささ」という強大な敵と戦うために
数週間~数カ月の心の準備、あるいは心の戦いが必要なわけで、
そこに費やす労力は決して小さくはないでしょう。
しかし先のばし人間は、意外とそのことに無自覚です。

しかし、
「Once begun is half done.」
という言葉を突きつけられると
真実に対して目が開かれるのと同時に、
(客観的には馬鹿馬鹿しい)自分が費やしてきた
労力に対する「ねぎらい」さえ感じます。
この言葉には
始めることの苦しさへの理解が根底にあるからです。

そういう意味では、
「Well begun is half done.」は
少し意味がずれるかもしれません。
これは
「初めがうまくいけば、作業の半分は終わったようなもの」
といった意味になります。

「Once begun is half done.」の方は
うまく始めようが、まずく始めようが、
とにかく手をつけることができたなら
「作業の半分は終わったようなもの」と言っています。

先延ばし人間には「Once begun」の方がピッタリです。


理由のもう一つは、
手を付けるだけで半分も終わるということが
大きな動機付けになるからです。
苦しい作業が一気に半分も消化できると思えば
「やってやるか!」ってな気分にもなりますよね。


先延ばし症候群に悩む人達には、
是非、この言葉を座右の銘として心に置かれますよう、
心よりお勧めします。

青森山田高校の不祥事 何が悪かったのか? 

青森山田高校で起きた不祥事、というよりは暴行事件に関して、
一つブログの記事を引用します。

「Baseball Journal」というサイトで紹介されていた
ブログ「欧州野球狂の詩」の記事からです。


☆☆☆

今回こうしたことが起きてしまったのは、非常に残念だ。
青森山田高校野球部がもしなくなってしまうなら、
それは一高校野球ファンとしては大きな損失だけど、
結果としてこのような沙汰を止められなかったことに関しては、
一切同情の余地はない。

野球の試合は、27のアウトを重ねれば終わるけど、
人生におけるアウトカウントは1つしかないんだ。

これから先、野球部の全ての関係者たちには、
大切なチームメートの命を奪ってしまったという、
重い十字架を背負いながら生きてもらいたい。

☆☆☆


このブロガーさんもおっしゃっていますが、
「スポーツに暴力はつきもの」、「スポーツだから多少の暴力は許される」
などという考え方は、根本から改めるべきである。

暴力という手段を有効な唯一の矯正方法と考えているなら、
それはもう本質的にヤクザとなんにも変わらない。

まず自らの言葉で愉し、ダメなら親や教師など複数の人で愉し、
それでもダメなら何らかの暴力以外の制裁を順次与えていけばいい。
場合によっては連帯責任を負わせるのも有効でしょう。
大人と同じように扱うべきだと思います。

何か悪いことをした場合、
サラリーマンなら、減給等の内部的な懲戒処分を受けるとともに、
場合によっては、刑事上・民事上の責任を負わされ、
結果として、上司・同僚や家族から白い目で見られるという制裁も加わります。
弁護士等の士業なら、業務禁止や業務停止の処分を受け、仕事ができなくなり、
一般の事業者なら、管轄官庁から行政処分を受けて公知され、客も離れていきます。

事業以外の場面でも同じ。
例えば交通違反。
捕まると青キップや赤キップを渡され、
交通反則金を支払ったり、刑事裁判を受けたりし、
そして免許の停止や取消しとなります。
一度免停になると前科がつき、
1年間無事故無違反というのを達成しない限り、
蟻地獄のような免停スパイラルに陥ってしまいます。

しかし、暴力という制裁は、
死刑を除けば、
全くありません。

この大人の世界のルールを認識させ、
スポーツの世界、特に学生の部活動の世界での慣習・風潮を
さらに改めていく必要を感じます。

それにしてもなぜ、
スポーツの世界は暴力へのハードルが低いのでしょう?

理由は様々言われていますが、
私は、スポーツの本質に関わる部分が大きな理由だと考えます。

スポーツというのは、
言うまでもなく身体能力がその優劣を決める一つの重要な要素となります。
その身体能力をいかに磨き上げ、試合等で発揮していくかが大事です。
もちろん知力や判断力なども大事ですが、
身体能力あっての知力や判断力でしょう。
なんといっても身体能力が基盤です。

身体能力を磨き、維持し、発揮するというベクトルの向きが
暴力という物理的な行為のベクトルと近いという事実が、
暴力を生じさせる間接的な原因になっているのではないでしょうか?

決してスポーツが悪いと言ってるわけではありません。
スクーターでのひったくり犯が多いからといって
スクーターに罪はありません。

スポーツの持つそうした土壌を理解し、
暴力への誘惑に飲まれないよう十分に注意していればいいのです。

特に格闘技関係の人はそうであり、
自分の身体が凶器にもなりうるとの自覚が絶対に必要です。

鍛え上げたその体は、
暴力をふるったり、脅したりするためのものではないということを
スポーツマン、スポーツウーマンは普通の人以上に肝に銘じておく必要があります。
そして、
「スポーツをやる人=紳士・淑女」というイメージを世間に持たれるようになれば、
それは素晴らしいこと。

事件を起こした柔道金メダリストの内柴選手についても、
まあ、同じことが言えるでしょう。

女性を襲ったわけですから論外とも言えますが、
普段の行いについて、
本人はもちろん、周りも厳しく律すべきだったでしょう。

強ければ強いほど厳しくある必要がある。

実績があるから何も言えないとかいう考え方は
この際ゴミ箱に捨ててしまおう。


話は戻りますが、
心臓付近を殴ったりするのは心室細動を起こす危険があるから、
絶対にやらないほうがいい。
青森山田の事件も多分これだと思う。

サッカーやドッジボールなども胸に当たって危険かなと思いましたが、
ボールが大きいからそれほど心配はないらしい。

やはり野球やソフトボールなどのボール、
そして拳(こぶし)が危ないようです。
特に未成年が要注意。

心臓への打突、衝撃に注意するとともに、
AEDを近くに用意することが備えとなるでしょう。

青森山田の場合は、寮にAEDがなかったそうですね。
それも不運でした。

亡くなった生徒のご冥福をお祈りいたします。


春風を以って…  佐藤一斎 「言志後録」より 

春風(しゅんぷう)を以って人に接し、
秋霜(しゅうそう)をを以って自ら粛(つつし)む。

          【言志後録より】


意味は、「春の風のように柔らかく穏やかに人に接し、秋の霜のように苛酷かつ峻烈に自らを律すべし」ということ。
江戸末期の儒学者、佐藤一斎の著書「言志後録」からの言葉です。
佐藤一斎というのは、言志録、言志後録、言志晩録、言志耋録のの四書からなる、いわゆる「言志四録」の著者で、就任まもない小泉元首相が国会で引用したことでも有名になりました。かの西郷隆盛にも大きな影響を与えたことで知られます。

その佐藤一斎の上記の言葉ですが、
言っていることは、比較的ありふれた内容といってよく、要するに、「人には優しく自分には厳しく」ということ。しかし、春風や秋霜に例えて簡潔に表現することで、実際どうすればよいのか、より具体的なイメージが心に迫ってきて分かりやすいですね。座右の銘とするのにぴったりです。

ちなみに小泉元首相が引用したのは次の言葉です。


少(わか)くして学べば、則ち壮にして為すことあり。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。


この言葉は「三学戒」と呼ばれるもので、
簡単に解説すれば、
幼少期に十分に学べば大人になって社会に功をなす人物となり、大人になってからも学び続ける人は老年期になってもなおその力は衰えず、そして、老年期になっても学ぶ人は、死んだ後も世の人に良い影響を与え続けるものだ、ということです。

教育関連法案の審議中に語ったようですが、
さて、どういう脈絡でこの言葉を引用したのかはよく知りません。

勉強は大事だと言いたかったのでしょうかね?